今さらだがHappy New Year。
大晦日は買出しに出かけ、メシ食って酒飲んだ。
テレビはすぐに見るのをやめた。
ガキの使いは笑ってはいけないどころかそもそもが笑えるほうがおかしい内容だったし、 格闘技はレーナの試合だけを見たが次の試合まで引っ張るのが長すぎてそっちに飽きてしまった。紅白に回すと星野源が気持ち悪いからすぐに見るのをやめた。
こいつら、いつまでこういうことを続けるつもりなんだ?
ずっと放置したきり一度も見ていなかったDVDを見た。
コーエン兄弟の「インサイド・オブ・ルーウィン・デイビス」。
デイブ・ヴァン・ロンクをモデルにしたやつ。
ルーウィン・デイビスは住む部屋もなく、他人のライブをぶち壊し、女を孕ませ、ヒッチハイクの先で邪魔になった猫を捨て、 泊めてくれた恩人を罵倒する。
ロンクがあそこまでどうしようもないやつだったのかは知らない。
以前、友部正人にロンクについてを質問したときは「ディランの自伝に書かれているまんま」と答えてくれた。
ディランの自伝に描かれてるロンクも、そしてロンク本人の自伝を読んでも、嫌いになれない。
なにより、肝心のロンクの音楽が大好きだ。
映画は見ていてつらかった。どうしてあんなことをやってしまうのか、すごくよくわかったから。
ルーウィン・デイビスが信じているカッコいいものと、周囲が誉めそやすものとの相違のギャップ。ルーウィン・デイビスは親しくしている(そして自分よりも人気がある)フォークシンガーの曲さえ内心でバカにしまくっている。にもかかわらず、彼が見下している連中よりも評価されることがない。
それどころか誰よりもうだつがあがらないざまだ。
ここ数日、Celecrating The Music Of Inside Llwyn Davisを聴く。
映画を元に発展した、フォークソングのイベントのライブアルバムだ。
誰がどう、とかそんな聴き方はしなかった。酔っ払っていたからだ。
どっちにしろどの曲の誰の演奏がよかった、とかそんな聴き方はどうでもいいアルバムであることは間違いないだろう。
ミルク・カートン・キッズのような正統派フォーキーはもちろんのこと、新作ではプログレッシヴ・アメリカーナとでもいいたくなるような作品を作ったパンチブラザーズや、コステロやジャック・ホワイトといったロックのビッグネームすら、ディラン以前のグリニッジ・ヴィレッジのフォークシーンと同化している。
このアルバムの感想は聴くたびに異なる。
まるで仮面をかぶっているようだと、もっと本来の個性を出すべきだと考えることもあれば、その同化ぶりに参加アーティストたちの深いリスペクトを痛感することもある。
たぶん、これから何度聴いてもこの二つの感想を行ったり来たりすることだろう。
参加者で驚いたのはボブ・ニューワースだ。まだやってるとは思わなかった。
現在76歳だという。
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