アラン・トゥーサンが死んでしまった

いささか古い話になるが、スペインでアラン・トゥーサンが死んだ。
ここしばらくは次女の誕生やその他で身辺がゴタついており、ブログを更新できなかった。
アラン・トゥーサン死去のニュースさえ放置していたのはそのせいだ。

俺がアラン・トゥーサンの存在を知ったのはいつのことだろうか?
音はともかく、名前を知ったのは早かったと思う。中学生の頃に知っていたのではなかっただろうか。当時はネヴィル・ブラザーズを筆頭としたニューオリンズ系のミュージシャンがミュージックマガジンあたりで注視されていたものだったが、中学生の俺からするとそういったアーティストたちは敷居が高かったし、それどころではなかった。
youtubeなんかなかったあの時代、まだまだ聴かなければならないロックのアーティスト、アルバムが山ほどあったのだ。 そうしたサウンドはオッサンになってから聴けばいいと思っていた。

実際にはオッサンになる前にニューオリンズ・サウンドに入門した。はじめて買った、そして気に入ったニューオリンズものはドクター・ジョンの「ガンボ」。あの声、あのサウンドを聴いて、これがニューオリンズかと感服した。19歳のときだ。



アラン・トゥーサンの代表作として名高い「サザン・ナイツ」を買ったのは、「ガンボ」を聴いてからそれほど期間も経てはいなかった頃だったと思う。
率直に言うとはじめは今ひとつ肩透かしを食らった気分だった。
「ガンボ」にはじまり、次いでプロフェッサー・ロングヘアーを聴いた俺からするとニューオリンズ・サウンドとはあの転げるようなピアノとリズムだったのだが、「サザン・ナイツ」はそれらのサウンドとそれほど重なっているわけではない。そしてまた、両者に比べると声にアクがないのもまた物足りなかった。逆に言うとそのアクのなさゆえに嫌いになることもなかった。あくまで普通に好きなワン・オブ・ゼムのひとり、というポジションだ。

2005年にニューオリンズを襲った台風、カトリーナ。
あの災害のあとにリリースされたベネフィットアルバム、 「Our New Orleans」の1曲目にアラン・トゥーサンの歌唱による「Yes,We Can」が収録されたが、あれを聴いておれのなかでのアラン・トゥーサンの位置が変わった。あのアルバムではトゥーサンと、バックウィート・ザディコが白眉だと俺は思っている。



乱暴にわけてしまえば、一度好きになってしまうとそれまでわからなかった魅力がたちまちに理解できるようになるアーティストと、そうではなくそれはそれで駄目なものは駄目なアーティストの2種類に分けられることが多いけれど、トゥーサンは前者だった。ちょうどその後ぐらいから、それまで余り興味がなかったアーリーソウルも好むようになっていて、パフォーマーとしてではなく、プロデューサーとしてのトゥーサンを集めたKENTやチャーリーのCDも楽しめるようになっていた。
ニューオリンズという地域性や属性ではなく、あくまでトゥーサンそのものがよいと感じられるようになっていた。


キース・リチャーズなども出演したニューオリンズの音楽イベントのドキュメント映画「メイク・イット・ファンキー」でのアーマ・トーマスとの演奏シーンなども印象深いが、アルバムとしてはラストとなった「Songbook」が最も胸に響くか。自分の持ち歌を、あるいはかつて誰かに提供した楽曲を歌うライブアルバム。往年のミーターズのようなバンドはいない。ピアノの弾き語りだ。そしてそれがトゥーサンの声にたまらなく合う。ピアノも歌も流れるようだ。優雅ですらある。
かつてミーターズなど優秀なバンドを使って幾多の楽曲をプロデュースしていたトゥーサンが最終的にたどり着いたのがミニマムなピアノの弾き語りであるという事実を前に、これこそが音楽の原点であり、これ以上はただのひけらかしであり、単なる過剰ではないのかという暴論さえふと浮かんでくる。最低限の演奏と歌、それだけでよいのだと。

それがただの愚にもつかない思いつきでしかないのは明らかだが、 少なくとも音が流れているあいだは、そうした錯覚に陥らせるだけの力がある。本人がどう思っていたかはともかく、これが最後のアルバムであったのは本人にとって本当に幸福だったのではないだろうか。年齢を重ねるにつれてアーティストとして表現力が高まっていた事実を残せたのだから。









コメント

人気の投稿